【活動報告】はさま学びの泉 ~船橋市の市境を見に行こう~

公民館との事業計画会議においてコーディネーター諸氏より「船橋市の淵がどうなっているのか実際に歩いてみたい」という声がでて、今年度のはさま学びの泉は「船橋市の市境を見に行こう」に決定した。

講座は全3回シリーズとし山本稔氏を講師に迎え、1回目は5月29日に座学で「船橋ってどうやってできたの?」、第2回目は6月5日に散策で鎌ヶ谷市との市境「丸山を回る」、第3回目も散策で6月12日に市川市との市境「下総中山発 法華経寺と真間川へ」とした。講師の山本氏は船橋地名研究会会員で、自称江戸・東京案内人として活躍されている郷土史研究家である。今回の講座は定員20名で募集を開始し、すぐに満員になった。

第1回目:座学 10時~11時40分 ~船橋を知ろう~
昭和12年に船橋市が発足し、当時の人口は43,000人であった。昭和44年に人口は30万人を突破し、2025年に遂に65万人超となり、政令指定都市でない市としては日本最多の人口を有する市となった。現在の船橋市の人口は、既に鳥取県、島根県、高知県を上回っている。

~散策地区の歴史等の解説~
「丸山と鎌ヶ谷」
~船橋市の地図で丸山が飛び地になった理由~

丸山は江戸時代初期、西側にある道野辺村(鎌ヶ谷市)の人々が幕府に銭を納めて利用していた野原で、南側の二和川の谷は道野辺村の人がすでに水田を開いていた。その後、幕府の許可を得て行徳の人が丸山新田を開き、この地域の松林は行徳の塩業を支える燃料補給地として大切な存在であった。
明治22年に丸山新田は近隣の藤原新田、上山新田と一緒に法典村となり、道野辺村は鎌ヶ谷村になり、二和川の谷はそのまま鎌ヶ谷市に属することになったため、こうして丸山は船橋の飛び地になったのである。
丸山地区の開拓者の草分けであった徳田家に関する史跡が、まだ数多く残っている。

山本講師の話の中で庚申信仰が興味深いので紹介しよう。
庚申信仰とは60日に1回ある「庚申(かのえさる)」の日には、飲食、読経などで夜通し眠らず身を慎めば長生きできるという信仰である。
江戸時代に庚申塔を村の出入口に建て、悪いものが村に入ってこないようにすることが流行し、船橋市内には300基を超える庚申塔が現存している。
これと同様の考えで「丙午(ひのえうま)」がある。丙午とは子丑寅の「十二支(じゅうにし)」と甲乙丙で始まる「十干(じっかん)」を組合わせた「干支(えと)」の内「丙」と「午」が組合わさる年のことで、60年に1回巡ってくる。
過去にはなぜか女性限定で「丙午生まれの女性は気性が激しい」「夫を食い殺す」などの迷信が言われ、心配した夫婦が出産を控えたため、1966年生まれの赤ちゃんは前年比25%減だった。
いよいよ来年には60年に1度の丙午が巡ってくる。それでなくても少子化が我が国の深刻な問題の現在、さていったいどうなることでしょう。

~下総中山駅発 法華経寺から真間川へ~
船橋市の西の玄関口、下総中山駅は明治28年、総武鉄道中山駅として津田沼駅と同時に開業した。津田沼駅は陸軍演習場への玄関口として、中山駅は法華経寺門前駅だったと考えられる。

中山という地名は中山法華経寺に由来するが、一方で中山を含む主要駅の「下総中山駅」「京成中山駅」「原木中山駅」「京成東中山駅」などはすべて船橋市内の駅で、由来となった法華経寺だけが市川市に位置している。
法華経寺の総門(黒門)の左右に続く道が船橋市と市川市の市境になる。

講師より散策する際に市境の見方として、マンホールの表示、商店街の街灯や佇まいなどに着目するよう説明があった。
その他、国道14号と木下街道との交差にある中村家と東山魁夷との関係、東葛人車鉄道跡など興味深い解説を伺い1回目の座学は終了。
会場には講師より貴重な資料や散策地域の懐かしい写真などが掲示され、参加者一同熱心に見入っていた。

第2回:散策 09:30~12:00 ~丸山を回る~(約5km)
ルート:馬込沢駅(集合)⇒鎌ヶ谷との境(水路)⇒法典東小学校(戦前は高射砲陣地あり)⇒庚申塔⇒牛頭天王(ごずてんのう)⇒徳田家旧宅(大きな藁屋根で典型的な下総型民家。前庭が広く大谷石で作られた倉庫、ムクノキとケヤキの巨木、隣には巨大なゴルフ練習場)⇒墓地⇒開墾説明版⇒丸山根元(最初の開拓者を伝えている)⇒慈眼院跡⇒駒形神社⇒道祖神⇒丸山墓地⇒丸山公園⇒丸山市民の森⇒第一踏切商店会(丸山の山裾を巡る谷あいの道で急坂と階段ばかりで丸山の特徴ある場所)⇒馬込沢駅(解散)

第3回:散策 09:30~11;30 ~下総中山駅発 法華経寺から真間川へ~(約3.5km)
ルート:下総中山駅北口(集合)⇒群芳園跡⇒中山十字路⇒妙円寺⇒小栗原蓮池公園⇒黒門(船橋市と市川市の市境が極めてよくわかる場所)⇒赤門・智泉院(東大の赤門、加賀藩との関わり)⇒安房神社・祐師山⇒泰福寺⇒深町坂⇒高石神社⇒中村家・東葛人車鉄道跡(味噌醸造所を営んでいた当時のレンガ造りの倉庫と住宅、戦後3代目の勝五郎氏は東山魁夷のパトロンで、当家に間借りさせた際に描いた絵画「私の窓」を見ながら解説)⇒真間川⇒中山橋(橋の片側が船橋市、反対側は市川市)⇒下総中山駅南口(解散)

散策は両日とも梅雨の晴れ間に恵まれ、楽しく市境を歩くことができた。
次はどこの市境を歩こうかと今から楽しみだ。全3回の講座を毎回熱心にご説明いただいた山本講師に感謝。

                                            文責:伊藤 弘

令和4年度 飯山満寿大学 閉講式

日時: 令和5年3月16日(木)13:30~15:00
会場: 飯山満公民館 講堂
   飯山満寿大学 第10回 プログラム
1 ハープコンサート
2 閉講式(式次第)
(1)館長挨拶
(2)生涯学習コーディネーター挨拶
(3)抽選会

 令和4年度飯山満寿大学閉講式に参加して
 東部ブロックでは、3/9~16に各公民館で同様に閉講(修了)式が行われました。
飯山満公民館 寿大学はコロナ禍のなか、64/89名の方が参加して下さいました。受付では「来年度の受付は?」と聞く方の多いのに、寿大学の人気の高さを思わせました。
 閉講式の前に押野館長の紹介で、演奏家の本間さんのハープコンサートが最後の授業としてはじめられました。ハープ演奏家 本間美紀子さんは、船橋出身・在住で千葉県を中心に全国的にも活躍されている(プロフィールはプログラムで・・・)。

   「写真をクリックすると拡大されます。

 ハープの響きで講堂は、心の扉を響く(奏でる)よう一音一音が清涼感を感じさせてくれました。 ハープ起源は紀元前3,000年、発祥の地メソポタミアからアイルランドへ、古くから宗教絵画・彫刻などいろいろな形で現わされている。また、マリーアントワネットはハープを愛することで広まり、その後ハープに共鳴胴を持つ構造、半音をペダルにより可能になりました。オーケストラで2台セットする理由など理解しやすい説明が印象的でした。 ハープの音色を聞いていると、竪琴・和箏などの響きとも相まってハープ史を感じる(写真参照)時間でした。
 さて、演奏曲目は聞きやすく親しみの持てる「クラッシック、映画音楽、ポップス、演歌など」とても良い選曲で、本間さんの人柄が出るパフォーマンスにも少し驚かされました。一曲ごとに惜しみない拍手に、アンコールにもこたえて頂きました。今後ますますのご活躍をお祈りいたします。(S.O)

ミヤンマーについて、もっと知ろう!

国際交流講座(飯山満公民館 寿大学)2022.9.15(木)講師:押手 敬夫(29期:飯山満)

 ミヤンマーと聞いて、何を思われますか? 最近はウクライナ問題でニュースではあまり取り上げていないが、民主化と政情不安が取り巻く東南アジアの火薬庫とは言い過ぎですが、我々世代には、美しくなぜかもの悲しい 「映画 ビルマの竪琴」を思い出す。また、今回の講話を聴いて、映画の内容がかなり誇張し映像化されていたようだ。
 民族衣装・工芸品などと講座のすばらしさは、さすがわが生涯学習コーディネータの先輩にも知的な適任の方が多いのに感嘆いたしました。歴史的・地勢学的背景などキリがないが、上座仏教(出家と解脱)、日本語と同じ語順の言語など親近感が湧く。今、世界では少数民族と宗教問題で日々争いが絶えないが比べて、80年近く平和ボケしているかもしれない日本は幸せなのであろう。以下、当日の写真を掲載しましたのでご覧ください。