「習志野市との市境~JR津田沼駅周辺~」
日時:令和8年(2026)年5月20日(水) 09:30~12:00
参加者:14名+飯山満公民館・コーディネーター計6名
コース:津田沼駅(集合)➡市境標➡津田沼十字路➡鉄道連隊演習線境界標➡
藤崎台駅跡➡鉄道連隊鉄橋➡八坂神社➡津田沼1丁目公園➡千葉工業大学正門
➡津田沼駅(解散)
【津田沼駅】
津田沼駅は当時の二宮村(現:船橋市)と津田沼町(現:習志野市)の村境に建設され、駅舎と改札口は習志野市側、ホームと北口の一部は船橋側にあり2つの市を跨ぐ珍しい駅。駅長室が習志野市側にあるため、所在地は習志野市となる。令和3年(2021年)8月のコロナウィルスまん延防止等重点措置で船橋市が対象となり、道一本隔てた習志野市が対象外になったことに端を発し、船橋市前原商店街が子どもに市境に関心を持ってもらおうと企画したイベントに駅内に市境を持つ津田沼駅が協力し、ホームに市境の街を示すテープが張られた。
【市境標】
元パルコの前にある駐輪場の中に「市境」と記した標がある。ここが習志野市と船橋市の市境で、その延長線上に津田沼駅の市境テープがある。かつては駅前のバス停先端に「町界標」があったが、現在は船橋市郷土資料館のSL前に移転した。
【演習線境界標】
鉄道連隊が津田沼駅南側に設置され、松戸へ向かう演習線(訓練用の線路)を造成した際の土地の境界を示す標石が京成松戸線線路脇や駐輪場に残っている。この駐輪場は初代の新津田沼駅跡で、昭和22年(1947年)に初代新津田沼駅と薬園台駅間が開通して新京成電鉄の歴史が始まる。なお初代新津田沼駅は、その後3代目新津田沼駅として復活したが、昭和43年(1968年)に現在の場所に移転し、ここで3代目新津田沼駅は廃止された。
【藤崎台駅跡】
昭和28年(1953年)~昭和36年(1961年)まで2代目新津田沼駅であり、昭和36年(1961年)~昭和43年(1968年)までは藤崎台駅だったこの場所は、現在民家が立ち並び、当時の面影は見られないが、この一帯は船橋市と習志野市の市境が道一本で隔てられている場所。
【鉄道連隊鉄橋】
コナミスポーツクラブ裏側から線路に出ると、総武線の上を京成電車が青い鉄橋を渡る場所が見える。この鉄橋は鉄道連隊時代のもので、中国大陸に派遣された際に不要になった廃材を持ち帰ったものと言われる。
【八坂神社】
元々は現在の東部公民館付近にあった神社で、船橋市前原地区の鎮守だったものが、土地区画整理で現在の場所に移転した。境内には昭和10年(1935年)当時 津田沼十字路に置かれていた道路標識が残っていて、文字もかすかに読み取れる。
【津田沼1丁目公園】
小型の機関車が展示されているが、これは鉄道連隊で実際に使用されていたもので昭和17年(1942年)~昭和19年(1944年)にかけて製造されたK2型機関車であり、現在全国で唯一現存するもの。隣の石碑はかつてこの地にあった県立千葉工業高校の跡地を示すもので、鉄道連隊兵舎跡に学舎があったことを記念して作られた。
【千葉工業大学正門】
千葉工業大学のレンガ造りの門柱は、鉄道連隊の正門だったところで、唯一残る貴重な遺構。大正7年(1918年)に津田沼は鉄道第2連隊として、松戸に向かう演習線の敷設、運転、修理、撤去、破壊などを行い、その後兵たちは樺太、日中戦争、ビルマ戦線などに駆り出され「戦場にかける橋」で知られる泰緬鉄道の敷設を行った。





