
~江戸から明治、激動の歴史と船橋との関わりが見えてくる~
日時:5月15日(金)10:00~12:30
参加人数:応募17名、公民館員1名、コーディネーター2名(合計20名)
講師:ふなばし街歩きネットワーク
主催:三田公民館
協働:船橋市生涯学習コーディネーター連絡協議会
応募は20名でしたが、当日は3名のキャンセルがありました。
公民館では受付開始後すぐに満員となり、20名ほどの方をお断りしたと伺っております。
年齢層の高い参加者が多いため、体調などによる当日キャンセルはやむを得ない面もありますが、多くの方に関心を寄せていただいたことを嬉しく感じました。
当日の気温は20℃前後と絶好の街歩き日和で、参加者の皆さんは最後まで元気に歩かれ、熱心に質問される姿も見られました。
ルート


上野広小路
寛永寺にある徳川家の霊廟に参詣するための参道でした。
江戸は火災が多かったので延焼を防ぐためもあり道幅を広げました。

黒門跡
寛永寺の総門でした。
幕末の上野戦争での激戦地でした。

西郷隆盛像
明治31 年(1898)に建立された日本一有名な銅像です。
船橋との関わり
・明治政府は職を失った武士などの救済として小金牧の開墾を進めました。
・西郷は近衛兵による天覧演習時に明治天皇に随行しました。

彰義隊墓所
明治14 年(1881)に建設された墓ですが、上野戦争当日の5月15日を命日として彰義隊戦死者の追善法要が行われるため、準備をしていました。
残念ながら墓の正面には寄れませんでした。
船橋との関わり
・市川船橋戦争、彰義隊と撒兵隊が共通しています。

清水観音堂
寛永8 年(1631)に京都の清水寺を模して建てられました。
本堂からの眺めが広重の江戸百景「不忍池の図」で有名です

お化け灯籠
三大灯籠の一つです
他は
・熱田神宮の佐久間灯籠
・南禅寺の佐久間灯籠

大石鳥居
御影石の鳥居で関東大震災でも傾きませんでした。

寛永寺五重塔
寛永8 年(1631)に土井利勝が創建しました。
船橋との関わり
御成街道は土井利勝によって造成されました。

上野東照宮
寛永4 年(1627)創建の徳川家康(東照大権現)を神として祀る神社です。
日光まで行かなくても参詣することができるように建てられました。
船橋との関わり
船橋大神宮の常磐神社は東照宮と同視されていました。

旧東京音楽学校奏楽堂
東京藝術大学の前身、東京音楽学校の校舎として明治23 年(1890)に建築されました。
日本最古の洋式音楽ホールです。
船橋との関わり
同じく東京藝術大学の前身である東京美術学校出身の歴史画家磯田長秋が船橋に移住し、大神宮の板戸など多数の作品を残しました。

旧博物館動物園駅
昭和8 年(1933)に開業しました。
皇室の御料地のため、御前会議での勅命許可が必要でした。
船橋との関わり
戦争末期には防空壕として使用され、陸軍の通信施設設置の計画もあったらしいです。
船橋でも二和に陸軍船橋送信所を建設しましたが、機能する前に終戦になりました。また上野と船橋は京成電鉄で結ばれております。

旧因州池田屋敷表門(黒門)
大名屋敷として格式の高い門です。
船橋との関わり
船橋にも東葉学校正門(旧近藤家住宅長屋門)があり権力の象徴である黒門に対して、地域の豊かさの象徴と言えるでしょう。

東京国立博物館
展示館は全部で6 館あります。
船橋との関わり
表慶館は皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して会館しました。
船橋では八千代橋が大正天皇の銀婚を記念して開通しました。

大噴水(東京大正博覧会跡)
大正3 年(1914)に上野公園で東京大正博覧会が開催されました
船橋との関わり
東京大正博覧会では、日本建鐵が国内初のスチールサッシを出展し銀賞を受賞しました。
同社は平成7 年に本社を船橋に移転し、船橋で唯一の東証一部上場企業になりました。戦時中はB29 の迎撃戦闘機「雷電」を開発、生産していました。

正岡子規記念球場
子規は、明治19 年(1886)~23 年(1890)頃、この上野公園内で野球を楽しんでいました。
船橋との関わり
明治24 年(1891)「かくれみの街道をゆく」で船橋大神宮に参詣し船橋に一泊した記録があります。
集合写真
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船橋との関わりには多少無理のある部分もありますが、参加者の皆さんには興味深く楽しんでいただけたようです。
